木曜日, 3月 08, 2007

中流の子育てはどこへ行く

本を読みました。

論争・中流崩壊
 中公新書ラクレ

     


『一億総中流』と言われた頃がありましたが。
ホワイトカラー高給取りや国会議員やスポーツ選手や、色々な分野で子が親の仕事を受け継ぐ例が多くなり、上流の子でないと上流へは行けず、中流の子は上流に行く可能性がなくなってきている、とか。

いやそんなことはない、データの読み方が違う、とか、上流もあっと言う間に没落するリスクが増えていて安定した階層は日本にはない、とか。

中央公論てこんな社会学の論文が載っている雑誌だったのですね。それらをめぐる他雑誌や新聞などの論争をまとめた本です。

中流は飽和した、という視点が面白かったです。戦後、ほぼみんなが豊かになった後、日本はどこへ行くのでしょうか。

この本がまとめられたのは2000年。同時多発テロよりも前です。その意味でも古いし、あと私が感じたのは女性の視点や要因考察がゼロであること。
だから決して事実を反映していないと思うのですが、オモテの社会を動かしている方々は、まだまだオンナの事なんて考えないですむ世の中だと思っておられるのかもしれません。

頑張ってもしょうがない、という雰囲気が蔓延する中で、エリートを育てなければいけない、という論も何度か出てきました。平等教育の中で、日本はエリートを育てそこなったとのこと。

ゆとり教育と言って指導内容はどんどん削りましたが、評価基準には『関心、意欲、態度』を入れ、関心や意欲を持ってそれ以上の内容は自分でどんどんやりなさいよ、と意図しようとしたようです。
でも、一般的な中流の家族環境で、教科書以上の内容に触れる機会がないならば、関心や意欲の対象になるべきものに接することもできません。

関心、意欲の対極に位置する怖れと隣り合わせの、『塾』に行くしかない。塾に行かずに十分な素材を与えられる中流家庭を想定できたと言うのでしょうか。優秀な方もおられるでしょうけど、それを基準にされても困ります。

エリート教育を全くしてこなかった日本はエリートを育て損ない、大会社の不祥事が起きたり、政治家の不祥事が続いたり。トップの社会的責任感が欠けているとあきれるような事例が見られるけれど、社会的責任を学ぶような教育もどこでもやってきていない。

そんな事が問題視される中、中流の親はどう子育てしていけばいいんでしょうね。

見てたらこんな本もありました。





     

「新中流」の誕生―ポスト階層分化社会を探る」 和田秀樹著 中公新書ラクレ


2006年9月発行。モロに上の論争を受けて書かれている感じ。読む本が増えちゃいました。

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