火曜日, 7月 31, 2007

遭遇!小澤征爾さん!!(小澤征爾音楽塾・鎌倉教育プロジェクト第1回)

昨日はコンサートに行きました。そして、なんと、生の大指揮者小澤征爾さんと遭遇しちゃいましたよ。

会場に向かって歩いていると、前から来た数人の小学生の1人が叫んだのです。「小澤征爾だ!」

振り向いたら、ボサボサ頭の、はみ出したピンクのカラーワイシャツをたなびかせて歩いている、本物の小澤征爾さんがいらしたのです。

もう、感激!

小澤征爾さんは歩きながら携帯電話で話しながら、小学生達に手を振っていました。そして会場近くのお蕎麦屋さんの方へと入って行かれました。

私はちょっと距離があったので、何も話しかけることもできませんでしたが、私よりも近い距離にいらした別の女性が、「先生??」と声をかけると、頷いて下さったとのこと。会場まで、お互いに感動を語り合いました。

あのボサボサ頭と、完全にはみ出させたピンクのシャツは、印象的。事あるごとに、息子に、「鼻水を拭きなさい、吸い込むんじゃない、ブ~ンして!」とか、「しっぽを入れて」とか、うるさく言っている私は間違っているのかも。

小澤征爾さんの顔を知っている小学生も、ご立派。

小澤征爾音楽塾という、若手の音楽家達の、信州での合宿後の成果発表会のようなコンサートでした。実際に指揮をしたのは、19歳の鬼原良尚くん。ウィーンの大学の指揮科・ピアノ科に在学中とのこと。

演目はオペラ「カルメン」で、簡易版の擬似オペラ形式のような上演でした。若い、こんなにも上手な音楽家が日本にこんなにも大人数いる、ということが、味わえて大満足です。しかも、お安く。A席3000円ぽっきり。3000円の演奏じゃなかったですよ。Sでも4000円。

この後他にも都内で公演をやって、また信州に戻り、中学生などを対象に、また発表会をやるとのことです。長野県での小澤征爾さんの活動はもう随分長く続いているようで、長野の子供がうらやましいと思っていました。昨日の会場は鎌倉で、こちらでやるのは第1回目だとのことでした。是非、毎年とか、頻繁にやって頂きたいです。

昨日のコンサートは私1人で行きました。子供の入場者はそれほど居ませんでしたが、次回はうちの子も連れて行きたいです。

金曜日, 7月 27, 2007

Z会は辞めることに。

塾に行かずに通信教育をやることになっていた中1ゴルリナですが、辞めることになりました。進研ゼミは、易しすぎて続けられない、なんて言ってZ会になったのですが、今度は、部活の合間を縫ってやるという気力が沸かないため。

同じバスケ部の近所の女の子達は例外なく夜の塾に通っています。うちの子、塾にも行かず、通信教育も辞めていいのかしら。

とは言え、英検教室と作文の通信教育はまがりなりに続いています。英検教室でも、スポーツ系の部活をやる子は結局英語どころではなくなる、と言われたのでした。続いているだけ偉いでしょうか。ピアノも続いています。

学校の中間試験も終わり、あんな感じだ、と納得してしまったこともあるよう。授業で教科書を読んで問題をやればなんとかなる。その上通信教育までやる気にはならないらしいです。

三割削減の学校の内容への不信感から、一度は私立中受験も考えたのでした。高校受験も教科書の範囲に基づくのだし、そこまではそれでいいかもしれません。でも、その後の大学受験は、私立の中高一貫の子といっしょになります。

とは言え、やっぱり、もう、『この環境』に入ってしまったので。学校一ハードなスポーツ部ではなく、体力のいらない文系の部活とかだったら我が道を行くこともあり得るかもしれないけれど、そういうタイプの子ではありません。

とは言え、時代はホント、私達の頃とは変わっています。大学生の学力低下も言われています。ゆとり教育世代が大学生になる時代です。どうやら、本当に、大学生の学力が下がっているのかもしれません。

というのは、ちょっと機会があって、某国立有名大学の理工系の教室を先日覗いたのですが、そこまで親切に指導するんですか?っていうくらい、丁寧にやっていました。教養過程の超基礎部分の補講がいくつも開講されていたのです。私達の時には、そのくらい自力でくらいついて来い、できないなら留年しろ、という感じだったのです。

ゆとり教育や少子化で、必ずしも基礎力を十分につけていない学生が大学に合格してしまい、その子達の基礎力を支える対策を学校側も取るようになってきている、と見えました。

いいのですかねぇ。

みんながそうなのなら、大学受験までは問題ないのかもしれません。でも、台湾や韓国の学生の方が日本の学生よりも実力をつけていることでしょう。

就職しても上司が外国人だったり、社長が外国人だったり、ということが起こるでしょう。当然、実力がなければ給料だって上がらないでしょう。

エンジニアは割りの合わない仕事だなぁ、勉強をいっぱいする割には収入は少ない、とは思っているのですが、あいにく他の職種の事をあまり知りません。サラリーマンは安定はしているのです。でも、もっといい職はあるかも。

自分の道を自分でみつけて欲しいものです。今は、部活を頑張ることを応援しようと思います。

土曜日, 7月 21, 2007

男子も僅差で敗退(バスケットボール)

今日は部活の男子の試合を応援に行きました。

娘は部で引率してもらって行き、私は後から行きました。道すがら、3年生女子のお母さん方と一緒になりました。女子は既に負けて、終わっているのですが、やはり男子を応援に行くとのこと。

そのお母さんによると、3年女子の娘さんはは先日もらった後輩達からの記念のお手紙を、何度見ても泣ける、と言ってくれているとのこと。3年の先輩全員にお手紙を書くのはとっても大変そうでしたが、『青春』なのねぇ、と認識を新たにしました。お父さんは、練習よりもそんな関係のないことばかりするから弱い、なんて言っていましたが、これでいいんでしょうね。

3年女子のお母さん方によると、1年の親はこれまでは必ずしも試合を見に来たりはしないものだったようで、熱心ですね、なんて言われてしまいました。先日のボロ負けも、「あんなものですよ」とのこと。うちが強かったのは数年前で、今の3年生の世代は弱かったみたいです。

男子は3年生が3人と2年生が2人入っての試合。この2年生二人はとても上手でした。でも、点を入れるたびにボールを取られて持って行かれて、必ずという感じで相手のシュートが決まってしまいます。前半は、20点以上引き離されて劣勢でした。

でも、後半、2年生を3年生部員にチェンジしてから、まるで別のチームかと思うくらいに動きが良くなり、相手のペースが狂ってしまったようで、相手のシュートがなぜか決まらなくなったのです。3年生にチェンジして、まとまりが良くなったとのこと。バスケットというのは、チームでやるゲームだということ、メンタルな部分がとても大事なのだということが、分かりました。結局、3点差で負けてしまいましたが、帰りがてらのマクドナルドでの自主反省会では、後半だけを考えれば勝っていたのに、残念、という声や、メンバーチェンジのタイミングや先生の采配への批判も出ました。

今年の1年の親達は、最初から、試合を見に来るように、練習も見に来るように、と言われています。以前の部活指導の実績がある部長先生は、現状をどうにかしたいと考えておられるのだろうと思います。

女子の新キャプテンもまだ発表にならないのですが、男子も区切りがつき、新体制がもうすぐに動きだすと思います。華々しい活躍はできなくても、なんとか、3年間、ついて行ってほしいものです。

火曜日, 7月 17, 2007

ピアノの発表会(と部活と中学受験、高校受験)

昨日は、ゴルリナのピアノの発表会でした。

一昨日は先生のお宅でリハーサル。その時にはボロボロだったそうですが、昨日の午前中の本番前リハーサルでは先生からもOKサインを頂きました。曲目はモーツァルトの「きらきら星変奏曲」。本番も無事に、大きなミス無く、弾くことができました。

部活に追われる日々で、レッスンの前にどうにか練習をするくらいになっていますが、ぐっと『音楽』として聞ける演奏ができるようになっていて母は嬉しいです。

年長さんから社会人までいるお教室ですが、学年によってゼロ人だったり、沢山いたりします。ゴルリナと同じ中一生は、一番沢山いる学年です。ピアノ仲間で中学受験をした子も多く、4人もの子が塾仲間でした。

その内の一人は、受験前にピアノを休んだまま、ピアノを辞めてしまいました。私立中に進んで、昨日は発表会を聞きにきてくれました。

他の二人は受験後ピアノを再開し、私立中に進み、昨日は一緒に発表会でした。それぞれに私立中の部活に入っています。

もう一人のゴルリナは、昨年12月で受験を辞めて公立中へ進み、部活まみれの中、昨日の発表会。

ピアノの先生によると、私立中の子達の方が、学校へは電車で通わねばならないのに、部活は早く終わり帰る時刻も厳密で、ピアノのレッスンには早く来るそうです。

ゴルリナの公立中の方が、学校は近いのに、部活の時間が多い上に、終わってからも蛇行して歩いて帰ってくるため、レッスンを早い時間に設定することができません。でも、ピアノの先生も言っておられましたが、一人だけさっさと帰りたいと思っても、『友達づきあい』のためにそれができないのです。

もう、そういう環境の中に入ってしまったのだから、しょうがないです。『友達づきあい』も保ちながら、流されずに自分の目標を持って進めるようにしなければなりません。

公立中の子達も、だらだらと遊んでばかりいるというわけではありません。部活を終えて家に帰った後、多くの子供は塾に通っているのです。高校受験がありますから。中一でもご近所のバスケット部員女子で塾に行っていないのは、なんとゴルリナだけです(英語には行っていますが)。私立中の子達は、確かめてはいませんが、中一では塾は行っていないのが普通ではないでしょうか。

部活が忙しい上に帰ってからもまた塾へ行かねばならない公立中の子達は、学校から帰る道すがらのわずかな時間だけが息抜きなのかもしれません。

中学生が忙しいのは共通のようで、昨日の発表会でも、試合のために出演できない生徒さんが3人もいたそうです。それぞれに、キャプテンだったり、エースアタッカーだったり、活躍しているそうです。それでは、夏の試合があるこの時期、ピアノの発表会に出られなくても不思議ではありません。

むしろ、中学生達は部活で忙しい中、やりくりしながらピアノを続けているのが普通なのだということが分かりました。このお教室から音大へ行かれた方もあり、昨日も特別演奏がありました。が、その方はむしろ例外です。忙しい中でも続けて、大学生、社会人になった方々が、それぞれに練習の成果を発表して下さいました。

お教室という接点で、ピアノのある色々な人生に触れることができるのも貴重なことです。練習はなかなかできないのだけれど、先生には申し訳ないながら、ピアノを続けていってほしいと思います。




土曜日, 7月 14, 2007

市中学総合体育大会 バスケットボールの部 敗退

今日は、ゴルリナたちのバスケットボール部の試合でした。この夏の大会を最後に、3年生は引退です。

数日前から、送り出す先輩達にあげる記念品を作っていました。親には見せてくれなくて、何を作っていたのか分かりませんが、2年生と1年生で考えて、何やら布で作っていたらしいです。お母さん方によると去年はミサンガを作ったそうですが。

それから、全員の先輩のそれぞれに、後輩一人ひとりからお手紙を書いていました。十数人宛に書くので大変。特に取りまとめの子は、昨夜は遅くまでまとめをやっていたそうです。

この、『記念品とお手紙』は、どうやら女子だけのしきたりのようです。男子はやらないらしい。そうだろうねぇ。

試合は、女子は一回戦で負けました。ゴルリナたち一年生は応援だけですが、それでも間近で先輩達の動きや先生の指示を見たり聞いたりし、声を出して応援して、得るものは大きかっただろうと思います。先輩は負けて泣いていました。うちの娘も涙が出たようです。

私はバスケは超素人ですが、相手チームが強かったと思います。相手の方が体格が大きかった上に、動きも俊敏でした。

ゴール近くでの相手のドリブルシュートが良く入りました。こちらはガードができず、応援席の父兄の親部長さんから、「飛べ!」と声が飛んでいました。飛び上がってガードするということができていなかったようです。

こちらにボールを取った時には、相手チームがやるようにゴール近くまでドリブルして来ずに、わりと遠くからのシュートを試みていました。が、なかなか入りません。相手チームの方が背が大きいので、ガードされない位置からのシュートを決めようとしていたのかもしれません。部長先生がどのような指示やコメントをされていたのかは聞こえませんでした。

数年前には県大会でも良い成績を残したのですが、その後、部長先生は、学校全体の生徒指導(生活面)の仕事も任されるようになり、最近は殆どバスケの指導ができていなかったそうです。慢性的に人手不足である公立中で、バスケ部で素晴らしい指導をされたことが必然的に学校全体での部長先生の役割を重くしてしまったようです。

部長先生にもう一度、バスケで花を咲かせたい、と、親部長さんが、仰っていました。部長先生も、指導に時間が取れない中で、親ぐるみでバスケを盛り上げたい、と思っておられるようです。部活を親も見に来て下さい、と言われているのですが、これは今まではなかったことだそうです。

今の2年生、1年生は、現3年生よりも、さらに背が小さい子達だとのこと。そうすると、『走るバスケ』で勝てるようにしなければなりません。『平面バスケット』という言葉が親部長さんから何回か出ました。

走りこみの練習がさらにきつくなりそうです。



   

水曜日, 7月 11, 2007

カイコのお葬式(理科の学習)

小3息子のゴル吉が理科でカイコを飼っていました。6匹いて、黒い一ミリくらいの幼虫だったのが、桑の葉を与えているうちに脱皮してどんどん大きくなりました。

餃子の箱に入れて育てました。校庭の桑の葉を取ってきて、ビニール袋に入れて冷蔵庫に保存。餃子の箱のカイコを学校に持って行ったり、家に持って帰ったり、朝な夕なに観察しながら桑の葉を与えました。金曜日に学校に忘れて来て、土日置いておくわけにはいかないからと取りに行ったりしました。雨の日にも桑の葉を取りに行ったり、無くなってしまったからと夜中に桑の葉を取りに行ったり。

糸を吐き始めたものから、ダンボールで細かく区切った別の箱に移すと、白いきれいな繭を作り始めました。
一匹は、怪我をしてしまったのか、体液が流れて出してきて、もうダメかも、と思われながら、頑張って結局きれいな繭になりました。

5匹までは繭になりましたが、最後の一匹がなかなか糸を吐き始めません。桑の葉を与えても、じっと動かなくなっていました。他のは葉を食べなくなって暫くすると糸を吐き始めるようだったのですが、この最後の一匹はいつまでも殆ど動かないままでした。で、昨夜、とうとう死んでしまいました。薄黒く色が変わっていました。

今朝、早めに起きたゴル吉に、「埋めてあげる?」と聞くと、「うん、それで、般若心経を読んであげよう。」

ランドセルを背負って、学校に行く前に、家の近くの木の下に、スコップで穴を掘って埋めていました。穴の中の、昨夜よりもさらに黒くなっているカイコに、土をかぶせました。般若心経は結局自分で全部は読めなかったのですが、私と一緒に読みました。神妙に手を合わせていました。

他の5匹はどうなったと思いますか?

5個の繭は、家の冷凍室に入りました。クラスのみんなの繭がそろったら、糸を取るそうです。冷凍室に、と先生から言われたそうで、これで死んじゃうそうです。殺すということは当然のこととして納得しているようでした。

今日埋めたカイコは、蟻に食べられちゃうんじゃないか、と心配していました。でも、食べられたら蟻の命になるんだよ、と教えました。

冷凍室に入れたカイコの命の方については、どう考えているのでしょうね。

カイコの飼育は理科の学習ですが、命についての学習にもなっているようです。

日曜日, 7月 08, 2007

バスケット:親の勉強

昨夜は、ゴルリナの部活(バスケットボール)の親の懇親会でした。部長先生を囲んで、2次会にまで行ってしまいました。

私自身はスポーツまるでダメ、かけっこは苦手、バスケットなんて、中学の授業でやった覚えはあるけれど全然できませんでした。

でも何故か、わが娘は有難いことにかけっこが速い。ちょこまかとすばしこい。ゴルリナが行く公立中の女子の部活の中では最もハードと言われるバスケットに入りました。

朝練、夕練、土日も部活、という生活にあきれ気味でしたが、懇親会にまで行ってみると、そのすごさの内容が良く分かってきました。

インターハイ経験者の部長先生は、技術だけでなく、子供の生活面、精神面の指導も厳しいです。そして、試合にも成果を上げています。

公立中の部活指導は、正確には、先生方の本来の仕事ではありません。先生の仕事は教科を教えることであり、部活はボランティアで指導して下さっているのです。

だけど、部活は子供の生活上の比率の非常に大きな部分を占めます。どうやら、それどころではなく、人生の一時期としての非常に大きな部分を占めるようなのです。

燃える部長先生の指導を受け、中学校のバスケットで良い成績を上げた先輩達は、それぞれに高校へと進み、大半の子はまたバスケット部に入って、高校での試合で今度はライバルとして対戦するとのこと。その時、それぞれの高校チームでのキャプテンになっていたりするそうです。

公立中の部活は、頑張っていたとしても信用はできない、と思っていました。なぜなら、必ず先生方の移動があり、それと共に廃れてしまうのを避けられないと思っていたのです。

実際、ゴルリナの通う中学校でも、人気のある部活でも顧問の先生の移動と共に新入部員の募集を中止していて、2年後の廃部が決まっているものがあります。
また、学校説明会で、部活指導のレベルを維持して子供の意欲を削がないようにして欲しいとの要望には、「無理です。」という回答がありました。一般的には、先生のボランティアの指導による部活に、そこまでは要求できないのです。

しかし、我がバスケットボール部の場合、カリスマ的な部長先生の生徒への指導がこれまで維持されているばかりでなく、若く初々しい副部長先生へも、まるで生徒同様と言えるような?部長先生の指導が行われているようです。それはよく分からないのですが、少なくとも、副部長先生が、部長先生のようになりたい!との熱意のもと、部長先生の一言一言のメモまで取って、また生徒と同じように走り回って、学ぶ姿勢の元に指導に努力されているのです。

部長先生が移動されても副部長先生は当分の間は移動という恐れは少ないです。
また、『学校開放』という制度があって、夜間に学校を開放して使えるそうです。そこで、『誰でも参加できるバスケットのサークル』のようなものが運営されているそうです。この時に、卒業生で実業団バスケットで活躍されている方などが、指導して下さるそうです。

この、『夜のバスケット』には、ゴルリナも行きたい!と言っていましたが、朝練、夕練、土日にまで部活があるのに、さらに夜まではやらないでいいでしょ、と思っていました。でも、考えが変わりました。それだけきちんと高度なバスケットを学べる機会であるならば、行けば得るものは大きいかもしれません。

さて、そんなハードなバスケットボール部に集まった生徒の親たちは、これまた、熱心なのです。
必ずしも、自分もバスケットをやったという方々ではないのですが、もう、私とは比較にならないくらいに詳しいし、熱心です。

うちのバスケットボール部には、親の部長も居るのです。現親部長は上のお子さんが部長先生の指導を受けられた方です。『夜のバスケット』の運営も、この方がされているようです。

色々勉強しました。インターハイ、っていうのは、高校の全国大会、っていう意味。野球で言えば甲子園ですね。マンガの「あひるの空」はこれが舞台。娘が読んでいました。
バスケットのキャプテンはゼッケン4番。なぜか決まっているそうです。
先輩の試合は親が見に行き、親が勉強する。部活の練習も、親が見に来て下さい、と言われました。

沢山の部員の中から、レギュラーになれるのは5人だけだけれど、必ずしもそうでもなく、試合の途中で何人も入れ替わるそうです。また残念ながら試合に出られない場合でも、チームの全員のレベルがお互いのレベルを決める、だから試合に出ることだけが意味があるわけではないとのこと。これはどんな運動部でも同じだそうです。

試合はビデオに撮って、親子で見るそうです。笛が鳴っても、なぜ反則を取られたのか子供は分からないけれど、ビデオで見れば良く分かるとのこと。


色々話を聞いていく中で、PTA、中学校の校長先生や小学校の校長先生のつながりも話題に出てきました。
どうやら、公立中の部活は中学校の中だけでなく、親のネットワーク、校区の小学校を含んだ地域のネットワークにも関係しているようです。その中で支えていけば、簡単に廃れるということはないのかもしれません。

また未知の世界が開けてきました。


   

水曜日, 7月 04, 2007

小学三年生の心理

メンタル弱め息子のゴル吉、色々な理屈を言って学校に行かないということがあり、担任の先生や校長先生とお話したりしています。担任の先生とは何度かお話をし、先生の接し方もかなり変えて頂いたようです。

先生も、うちの息子の場合の特徴や注意しなければいけないところを、かなり理解して頂いたようです。かな~り、アンバランスな子なんです。どうにか、最近は学校へ行っていますが、ハラハラドキドキです。

よく言われるのは、「昔の子みたいですね。」元気一杯、泥だらけ、許されている範囲の目いっぱい遊びます。2年生の時の担任の先生はよそからの転任の先生でしたが、「私はこういう子は好きで、前いた学校にはこういう子が多かったですが、ここの学校の子はきちんと大人しい子が多いから、浮いてしまうかもしれません。」と言われました。近所の公園で行われる冒険遊び(プレーパーク)では、大活躍。プレーリーダーからも、この子は面白い、素直でかわいい、けれど、この活動力は家庭や学校の場では受け止めきれないでしょうね、と、言われました。よく見て頂いているものです。ご近所のPTA中間の奥さんからも、昔の子みたい、との感想が。

昔の子みたい、と言って下さる方の気持ちの半分は、誉め言葉、でも半分は、心配だね・困ったね。私への慰め? 大変だよねぇ、という意味も入っているようです。

三年生って何者??と思い、本を読んでみました。「小学三年生の心理」



このシリーズは一年生から六年生まであり、学年ごとの特徴を記してあります。お姉ちゃんの小六の時にも「小学六年生の心理」を読んだっけ。

三年生は交友関係が急速に広がり、ギャングエイジが訪れる。などなど、色々書いてありますが、幼児から児童への脱却の時である1,2年生や、思春期の入り口に近づく5,6年生に比べて、3年生あたりはそうそう劇的な変化の年代ではないようです。
普通は、2年生までに準備された成長の路線に乗って、そのまま成長が続いていく年代、みたいなのです。

そのまま続いているかのように見えて、水面下で抽象的な思考が成長していて、それがうまくいかないと高学年での学習が困難になるそうです。学習のいわゆる「9歳の壁」です。
で、この本は心理学の本なのに、三年生の学習につまずかないための方法が沢山書いてありました。

学習支援の方法は参考になりましたが、「普通はそういうことを心配してればいいのかぁ」という感じ。でも、普通の枠に入らない子は多いのでしょうね。

先日小学校へ行った時、ゴルリナ(中1のお姉ちゃん)が六年生の時の担任の先生とお会いしました。

「ちょっと、早めにもっと高学年の心理が入って来てるんじゃないですか。ほら、お姉ちゃんの時にもあったでしょ。」とのこと。

ふうむ。高学年の心理というよりは、低学年(赤ちゃん)の心理の方が目についている母にとっては、新鮮な指摘でした。