金曜日, 6月 22, 2007

先生のしかり方

メンタル弱め息子のゴル吉の担任の先生と、じっくりお話をしました。

息子曰く、「先生が一緒に勉強をしたくないと言うんだ、だから学校に行かない。」本人の自覚としては、そう言われるのを我慢して我慢して、もう、行きたくない、と思っているようです。

先生ともお話をし、叱ったけれどそんな意味ではない、一緒に勉強をしよう、と言って頂きましたが、息子本人の自覚としては、行けばきっと、また、言われるのではないかと思うと、怖くて行けない。

先生は、そんなことを言ったことはないとのことで、どうやら先生はそんなつもりはないのに、息子はそう受け取ってしまっているようです。

叱られた事自体は、自分が悪い事をしたからだということは分かっています。しーん、とした教室でふざけたり。ふざけて来たお友達に、強く反応しすぎてぶってしまったり。でも、どうやら、それについて叱られた後に、「そんなのは三年生じゃないよ。」とか、「そんなことをしていたら皆が勉強ができない。」とか、言われて、その部分が、グサリ、と来るらしい。

幼稚園が適当だ、この教室から出て行け、という風に、言われ続けている、と、息子は受け取っているようなのです。

先生に伺うと、先生がそういう風に言うのは息子に対してだけでなく、大抵は複数の子供でやっているので、息子にも、相手の子にも、両方に言うし、それ以外の子にも同じように言っている、ゴル吉(だけ)に教室から出て行けなどと言っているわけではない、とのこと。

多くの子はそう言われても受け流しているのに、うちの子は、先生の言葉の意味を自分の中で解釈して増幅して、自分の中で傷ついているのです。

先生にはそんな意図は毛頭ないとのことで、逆に、「そんなに真摯に私の言うことを受け止めてくれているなんて。」と、感心されてしまいました。

「普通、三年生でそこまで考える子はいません。感受性が豊かですね。それは長所です。」

誉められたけれど、切ない。その感受性のために、先生の言葉に傷つき、我慢して疲れて、学校に行けなくなっているのに。

なんだか、世によくあるイジメの構造と、同じですね。やっている方は、相手がそこまで傷ついているとは、感じていないのです。

どれだけ分かって頂けたか、分かりませんが、まずは分かって頂く入り口には来たと思います。もう、言わない、と約束して頂きました。でも、正直、不安です。分ってるかなぁ、あの先生。

「そんなのは三年生じゃない」に過剰に反応することなく、平気で学校に行ってほしいけれど、本来、叱る時にそんなことは言わなくてもいいはずで、言わない方が正しい。叱るときにけなさなくてもいいはず。

「それじゃ皆が勉強できない」って、子供に苦情を言うのではなく、「それはやめて一緒に勉強しよう」とでも言ってほしい。

先生とお話をした後、「一緒に勉強をしよう」と言って頂きましたが、どうも、そういうセリフを言うのは苦手な先生のようです。日常に、けなし言葉、苦情、の方が、多い先生なのは本当なのかもしれません。

何々はやめなさい、で、止めておいて下さい、とお願いしましたが。今日、大丈夫か、ちょっと心配です。

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