日曜日, 3月 16, 2008

カニさんさようなら/教室を使う資格、って。

先週息子とお父さんが八景島の海の公園に潮干狩りに行った事を書きましたが、その時に小さなカニを持って帰ったのです。丸い甲羅の直径が2センチくらいのです。それを一週間、家で飼っていたのです。クーラーボックスにアサリと海水を入れて持って帰ったのですが、その海水を水槽に入れて、カニを入れました。すぐに死んでしまうのではないかと思われましたが、一週間、生きていました。

息子は飼いたかったのですが、餌が分かりません。カツオブシやイリコや、ワカメを入れてみましたが、食べません。本にはサワガニなどは飼い方が載っていますが、海のカニは載っていませんでした。

それで、幸い、一週間生きてくれたので、今日、海の公園に行って海に帰してきました。また、お父さんと息子の二人で行ってきました。無事に帰すことができたようです。良かったです。その後は、お決まりで八景島シーパラダイスへ行って、海の動物ショーを見てきたそうです。シロイルカも出ます。前回とはショーが変わっていたそうです。何度も行くので、細かい変化を楽しんでいるようです。私は今回も留守番です。


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ところで、私はちょっとガックリきていることがあります。息子の担任の先生のこと。もう、一応解決したし、息子本人は乗り越えてるようなのですが。

半年ほど前、担任のキツイ言動などで息子が落ち込んだことがありましたが、その後は順調に学校生活を送っていました。一応、子供の抵抗力はついてきていると思います。が、先生は、成長していないようです。

息子が掃除をサボっているのを注意され、先生から、掃除をしないなら教室を使う資格がない、と言われたのです。

それは、掃除をサボる方がいけないのです。でも、資格が無いとは、あまりに感情的な叱り方で、内容的にはもちろん、間違っています。本来は、教室を使うのに資格はいらないのです。でも、子供にはそれが分からない。翌日、息子は自分は教室を使えない、掃除をしないから廊下も使えない、校庭も使えない、と言って、学校に行きませんでした。

前回(半年ほど前)は、そんなことをするなら3年生ではない、と言われたのでした。息子は、3年生のクラスに来るなと言われたと言って、学校に行かなくなりました。あの時、校長先生にも入って頂いて、詳しく相談をし、担任の対応は随分変わったと思っていました。でも、今回の方が内容はパワーアップしているじゃありませんか。

今回は学校を休んだのは1日だけでした。本当は、学校を使う資格はあるんだよ、と言い聞かせて行かせました。なのに、担任は、せっかく来た息子に改めて、掃除をしない子は教室を使う資格がない、でもだから、掃除をしないといけないんだ、と話して聞かせたというのです。その夜、息子はうなされていました。夜中に、先生に言われたことが分からない、と話してくれました。

この先生の思考回路は、排除の論理で成り立っているようです。条件を満たさないなら3年生ではないとか、教室を使う資格がないとか。そこにひっかかってしまう息子は、ぐさぐさと心を痛めてしまっています。本当は3年生であるために条件が必要ではないことも、教室を使うために資格など必要ではないことも、先生は知っているはずなのに。

教室の掃除をするのは、掃除をしなければ使う資格がないからではなくて、使う教室をきれいにする責任があるからではないでしょうか。責任は分担しなければならないから、自分の責任を果たさなければ無責任で、それはいけないことです。でも、使う資格とは関係がないでしょう。

きっと先生は私から言わなければ分からないと思われたので、金曜日の仕事の後に学校に行ってきました。本当に、使う資格がないと思っておられるのですか、と問うた所、そんなことはない、と、涙を流されました。そんなことはないけれど、先生の気持ちを分かって欲しい、と言われるのです。気持ちはそうなのかもしれないけれど、表現力が無さすぎです。ちゃんと表現できないのは、ちゃんと分かっておられないからです。

先生が、『そんなことではあなたは教師である資格がない』と、上の方から言われたら、どんな気持ちがしますか、傷つくでしょう、と申し上げました。上の方との関係による、とのことでした。関係によっては、受け入れるそうです。ご自分もやっている言い方だから、全否定はできないのでしょう。

教師が言われる場合よりも、子供が言われる場合の方が深刻さは上です。教師の資格がなくても他の職はあるだろうけれど、子供は学校しか居る所がないのです。

強く申し入れて、結局、資格について言った事は撤回します、と言って下さいました。

「そんな子はうちの子じゃない」時々耳にすることもある言い方ですが、何とも寂しく悲しい言葉です。でも親子なら、言葉でそう言ったって親子である事実が無くなるわけではない。と、少なくとも親は思っています。でも、子供でそう思える子は実は半分だと思います。もう半分の子は本当に捨てられた気分になります。実際捨てられる子だって皆無ではありません。実は言葉による虐待です。親から子への暴力は、かつては見逃される事が多かった。言葉の暴力もこの国では見逃されがちです。こんなセリフが容認されるのは、日本は人権意識が低い国だからです。

教室の掃除をできない子だって、教室を使う資格はあります。公立の小学校だし。手足や目が不自由で掃除ができなくたって、本来、使う資格はあるのです。それとも、権利はあるのに使えないのは、資格がないからだと言うのか、と、妙に納得しかけましたが、やはりそんなことはないはずです。本人が、その教室ではなく別のもっと合った学校の方が良いと考えて選んだ時に、別の学校へ行けばよいのです。どんな場合も、公立の小学校であるなら、資格云々が言われる必要はないはずです。

担任は子供達に、叱られる子にも周りで聞いている子達にも、不必要で間違った思考回路を教えています。多分、排除の論理を教えてしまうという点で、有害です。あの子達は掃除をしないから教室を使う資格が無いと思えと、教えてしまっています。心ある子は傷つき、それがいやな子は、排除することを学ぶでしょう。

先生にどれだけ分かって頂けたか、半分は伝わり、少なくとも撤回はすると言って頂いたのですが、根本的に考え方は変わらないのかもしれません。

でも、学年末だし、もう、早く先生が変わって欲しいです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

改めて、子供と言葉のこと、考えさせられました。
でもごめんなさい、実際私は子供がどうやって言葉を受け止めるのか全然想像できないです。
大人じゃないってなんて大変で、大人って楽ちんだったなぁ…と、つくづく。
毎日息子と向き合って、初めて言葉を話して、コミュニケーションとれるようになってきたら、わかるようになるでしょうか。

オルゴールぴょん さんのコメント...

間宮さん、コメントありがとうございます。
子供と言っても千差万別で、学校でも多くの子は、こんな先生のセリフは受け流しています。でもうちに限らず、先生とトラブルになる子もいます。息子は真正面から受け止めてしまう上に、受け止めた内容がそれなりに正しいので困っちゃうのです。またうちでも、お姉ちゃんと弟は全然違うのです。
わかるか、と言ったら、う~ん、わかんないですね。お父さんや、先生やからの意見を合わせて、多面的に見ることがポイントのような気がします。